ガラティヤ203端;2:16-20
16 然れども人は律法の行に由るに非ず、唯イイスス ハリストスを信ずるに由りて義とせらるるを知りて、我等もハリストス イイススを信ぜり、ハリストスを信ずるに由り、律法の行に由らずして、義とせられん為なり、蓋律法の行に由りては、人一も義とせらるるなし。
17 若し我等ハリストスに由りて義とせられんことを求めて、自も猶罪人たらば、豈ハリストスは罪の役者たるか。非らず。
18 蓋若し我が毀ちたる者、我復之を建てば、則己の罪人たるを示すなり。
19 我律法に由りて律法の為に死せり、神の為に生きん為なり。我ハリストスと共に十字架に釘せられたり。
20 既に我生くるに非ず、即ハリストスは我の中に生くるなり。我が今肉体に在りて生くるは、我を愛して我が為に己を捨てし神の子を信ずるに由りて生くるなり。
口語
2:16人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
2:17しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。
2:18もしわたしが、いったん打ちこわしたものを、再び建てるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになる。
2:19わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
2:20生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。